2025年11月13日木曜日

「旧」評定河原橋の痕跡を求めて

 このブログで、じつに12年以上前(!)の2012年10月27日付投稿の中でこんな内容の記事を書きました。

昔の評定河原橋

この記事を書いたきっかけは、その約1か月前の9月21日に、(その時点でもさらに)古いスライドフィルムの写真をデジタルに起こしてもらったことでした。

時期も順番もバラバラに、撮影場所も撮影機材もごちゃ混ぜでどれがどのカメラで撮ったのか、ほとんどわからないという悲惨な状態。そんな中のたった一枚、夕暮時に片平丁通りから崖の下を見下ろし、広瀬川と評定河原橋を撮った写真があり、そこに写っていた評定河原橋が現在のものではなく、その前にあった赤い橋だった・・・というところが貴重だと思ったのです。

2012年当時に撮影した写真とともに紹介しました。

そんな古いブログ記事を、なぜ今になって掘り返すようなことをしているのか、それはこの記事と同じ日に別のお気軽日記ブログ「ShinoDUCKの楽天家日記」に投稿した記事「一昔前の評定河原橋」に対してなんと(!!)2025年1月になってコメントをいただいたからでした。びっくりです。

コメントをくださった方は宮城県の橋に興味をお持ちで、いろいろと調べておられるとのこと。そしてこの評定河原橋については特に、今の橋に架け替えられる前の古い橋について知りたいということで、いくつか質問をいただきました。

質問は3つ。

1,赤色だった頃の評定河原橋のデザインはどのようなものでしたか?欄干に黒い擬宝珠(お寺等の装飾によく見られる玉ねぎの様な形の飾り)は付いていましたか?
また、もし当時のお写真が有れば拝見させていただきたいです。

2,その当時、評定河原橋から見た広瀬川に白鳥が泳いでいたことはありますか?

3,その当時、評定河原橋から見える景色で今と大きく変わっている点はありますか?

今すぐに答えられるのは2番目のみ。広瀬川には冬になるとハクチョウがやってきますが、評定河原橋周辺では見たことがありません。カモやオオバン、サギなどはよく見かけるのですが。

おそらく、評定河原橋周辺の広瀬川はカーブがきつくて流れも速く、岩がごつごつしている上に、陸に上がって休む十分なスペースがないことが原因なのではないかと思います。宮沢橋と広瀬橋のあいだにある郡山堰周辺では、流れがせき止められていてゆるやかなのと、広い河川敷のスペースがあり、しかもそこは頻繁に人が通るような遊歩道がなく安心してくつろぐことができる、というようなハクチョウにとって快適に過ごせる条件が揃っているので、そちらは毎年40羽前後のハクチョウが冬のあいだを過ごしています。

さて、1番目と3番目のご質問にお答えするには、もう少し写真に写った古い橋をよく観察してみることと、現在この橋の周辺に古い橋の痕跡が残っていないか確認することが必要のようです。

まずは、古い写真をもう少し丹念に見てみることにします。・・・とはいっても、1枚しかない古いスライドフィルムからデジタルに起こした画像のみ。

とりあえず、この画像をもう少しクリアに見えるよう処理してみることにしました。JPG型式のこの画像を、Luminar NeoのAIにお願いしてノイズ除去、コントラスト向上を図ります。

そして得られたのがこの画像です。


もとの画像と比べて、少しははっきり見えるようになった・・・でしょうか。(リサイズして解像度を落としています)

橋の部分をトリミングしてみたのがこちら。


これ以上はどうすることもできないので、なんとかこの画像から先代の評定河原橋について見ていきたいと思います。

ちょっと調べてみると、Wikipediaのページがヒット。そこにあった説明によると

「元は朱塗りの欄干を持つ和風の橋だったが、1994年(平成6年)に架け替えられて水色の柵を持つモダンな橋に変わった。二車線と下流側に広い歩道をとる。橋の中央には歩道のせり出しがあり、座れる場所が設けられている。」

となっています。たしかに現在の橋は水色の柵があり、車道は二車線、下流側(北側)にのみ比較的幅が広い歩道があって、橋の真ん中にはせり出しがあります。

この、現在の評定河原橋が架けられたのが1994年、ということは私が撮影した写真はそれ以前のものということになります。大学への入学に伴って私が仙台に来たのは1988年春、東北大学学友会卓球部に入部し、川内キャンパスでの講義が終わって練習開始に間に合うよう活動場所であった片平中央体育館へ向かって片平丁通りを移動中に立ち止まって撮影したものか・・・

少なくとも、1988年後半から1992年くらいまでのあいだで、写真から伺えるようすから晩秋か初冬あたりの季節に撮影されたように見える、ということくらいでしょうか。

この写真を、どのレンズで撮影したのかということも気になります。当時持っていたOMマウントレンズとなると、OM 50mm F1.8、OM 65-200mm F4、そしてCOSINAの28-70mm F4くらいです。COSINAの標準ズームレンズあたりか?

現在TAMRONの28-105mm F2.8レンズも持っていますが、中古で購入したのが2001年だったのでこの写真の撮影機材ではないですね。

・・・・

うーん、これ以上のことはわからない。
すこしでも古い橋のことがわかる痕跡が残っていないか、現場へ行ってみるしかないか・・・ということで2025年1月16日に、現在の評定河原橋へ行っていろいろと確認してきました。日記ブログに記事をアップしておきましたので、ご興味おありの方はどうぞそちらもご参照ください。

2025年1月7日火曜日

ちょうど10年前の今日のFacebook投稿に「食事 光」のランチが

 2025年1月7日(火)


Facebookでは、過去の自分の投稿が「○○年前の思い出」として表示されたりします。

ちょうど10年前、2015年1月7日に投稿した記事が出てきました。内容はその2日前の1月5日、仕事始めの月曜日の話題について。


この、「2015年はじめてのランチ」のぶり刺身定食を、いったいどこでいただいたのか・・・それが気になってしまいました。 そこで、2015年1月5日に撮影した写真のもとをたどってみました。写真の画像ファイルを収めたフォルダ名は「20150105-2_Lunch-HIKARI」とありました。

おお、そうだ。

これは仙台市青葉区北目町にある「​食事 光」でした。このお店でお刺身定食をいただくことはめったにないのですが、年明け早々のランチ、お正月気分だったのか?

ちなみにこのお店、「ひかり」ではなく「ひかる」なのですが、学生時代からずっと通っていて店の名前を間違って呼んでいたことに気づかずにいました。

数年前に「ひかる」だということを知っても、やはりいまだに「ひかり」と呼んでいます。

かつては週に何度も、ランチや夕食で利用させていただいていました。

今はそれほど頻繁に行くことがなくなり、たまに夜出向く程度になっています。


このころは食事の記録に当時の高級コンデジ、OLYMPUS STYLUS XZ-2を使っていました。このカメラは2012年暮れの入手以来、今でも現役で活躍していますが、食事記録用としてはスマホのカメラを使うようになっています。

このときの撮影データを見ると、11.3mm(35mmライカ判で53mm相当)という中途半端な焦点距離、F4で、当時マイルールの最高感度ISO1600で撮影しており、シャッター速度は1/60秒、少し遅め。

このカメラのズームは6.0mm(28mm相当)から24mm(112mm相当)までをカバーしていますが、ちょうど真ん中あたりの標準レンズに相当する画角ということになります。

この10年前に撮影した写真の画像を、画像処理ソフトのDxO PureRAW 3.17でノイズ除去とレンズ光学系を考慮した収差補正を施してみました。

XZ-2, P1051376(2015/1/5)


XZ-2, P1051377(2015/1/5)

最近(2024年12月20日)にも、土樋の「​旬の味 伊藤屋」で能登産天然寒ぶりのお刺身をいただいていました。

この季節、ぶりのお刺身はおいしいですね。