仙台市青葉区、霊屋下(おたまやした)にあります。
この瑞鳳殿、ふだんは中を見るために拝観料700円が必要ですが、元日は「タダ」です。しかも!
瑞鳳殿の本殿ご開帳、中の伊達政宗木像を拝見することができるのです。
実は、ご開帳を見るのは2回目なのですが、前回はお金を払って見に行きました。
それでは、平成27年元日の瑞鳳殿訪問の様子をご紹介いたしましょう。
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さっそく入ってみましょう。
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正月らしく、りっぱな門松があります。
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石段を登り切って左手には、トイレと資料館があります。元日は資料館に入ることはできません。
また、りっぱな臥龍梅(がりょうばい)もあります。 4月にはきれいな花が見られます。
瑞鳳殿の本殿は、塀で囲まれており、正面には立派な入り口があります。その手前から中を覗いてみます。
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入口をくぐって・・・
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正面に戻り、さらに段を上がって本殿の正面へ。
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瑞鳳殿参拝を堪能したあとは、ちょっと周囲に目を向けてみます。
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龍のほうは、「青銅製龍頭彫刻瓦」です。説明文を読んでみると・・・
寛永14年 高田久兵衛 作/松島町 蔵
旧瑞鳳殿屋根隅棟には「阿・吽」計8体の龍頭彫刻瓦が据え付けられていた。瑞鳳殿は昭和20年(1945)7月10日の戦災で焼失したが、青銅製の龍頭彫刻瓦は辛うじて焼け残り、このうち4体は松島町が保管してきた。
平成11年(1999)5月24日、松島町所蔵の龍頭彫刻瓦(阿1体・吽3体)の内「吽」2体が、伊達家を介して再建された瑞鳳殿に里帰りし、瑞鳳殿本殿脇(写真のものですね)と瑞鳳殿資料館内に展示されている。
これはオリジナルの龍頭彫刻瓦なんですね。わざわざ前まで見に来る人はそんなにいませんが・・・ぜひオリジナルの龍頭と鬼瓦を見てやって下さい。
ところで龍頭彫刻瓦、阿・吽のペアですが、瑞鳳殿では外に置いてあるのはこの「吽」のみで、「阿」のほうは資料館の中に展示されていて、いっしょに見ることはできません。
阿・吽ペアの龍頭彫刻瓦は、瑞鳳殿のふもとにある瑞鳳寺で見ることができますので、そちらもついでに覗いてみてはいかがでしょう。
龍頭彫刻瓦と並んで置いてあるもうひとつのほうは、こちらも青銅製の「九曜紋鬼瓦」です。九曜の紋は、いくつかある伊達家の家紋のひとつです。大きな丸を中心に、九つの小さな丸が囲む形。
そして、ほんとうに端っこに目立たずたたずむ石碑があります。
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満海上人供養碑 Memorial to Saint MANKAI
寛永13年(1636)仙台藩祖伊達政宗の遺命による、墓所工事の際地中より中世末期、経ヶ峰に葬られた湯殿山修験者満海上人の墓が現れたと伊達治家記録に記されている。
旧瑞鳳殿東側には供養碑が建てられていたが、昭和20年(1945)の戦災と、その後の荒廃により失われた。
この度、昭和54年に再建された瑞鳳殿に引き続き、満海上人供養碑の再建を望む多くの市民の声により、財団法人瑞鳳殿資料館による歴史考証に基づき、平成元年(1989)12月1日、旧瑞鳳殿「暫屈」(ざんくつ)跡に再建したものである。
※暫屈 藩公参詣時の休憩所、元禄頃までは存在し、以後廃絶
大河ドラマ「独眼竜政宗」でも、たびたび出てきた「伊達政宗公は満海上人の生まれ変わり」という伝説(?)とも絡むものですね。
瑞鳳殿のほうは、たくさんの人が足を向けますが、この満海上人供養碑に立ち寄る人はいなかったようです。
写真にも、うっすら雪が積もった供養碑前を歩いたのは一匹のねこだけだったようすが写ってます。
さて、ここには藩祖政宗公の御廟、この「瑞鳳殿」のほかに、二代忠宗公の御廟「感仙殿」(かんせんでん)、三代綱宗公の御廟「善応殿」(ぜんのうでん)がありますが、この日は公開されていませんでした。