2016年3月21日月曜日

大丈夫か?佐藤屋 -2016/01/17

片平丁の通りを北へ向かって歩くと、右には旧武家屋敷の石垣、右には・・・魯迅が下宿していた(といっても半年ほどの短いあいだだったそうですが)佐藤屋があります。

XZ-2, P1175799
この建物、相当古いことは確かなのですが、最近右隣にあった建物も取り壊されすっかり更地になってしまって、この佐藤屋の建物も今ではぽつんとひとり立っている、という状態です。

去年の5月にも「大丈夫?」と、心配の記事を書きましたが、いつもこの通りを歩くときには気にして見ています。

いまのところ、危ういムードを放ちながらも落ち着いているようですが。

今年は雪が少なくて助かっているんでしょうね。

この冬を耐えても、春の嵐、梅雨、台風と、心配のタネは尽きることがありません。

記念植物園(旧東北帝国大学理学部生物学教室の標本園)-2016/01/15

このブログでもたびたび登場する、東北大学片平キャンパス北西隅にある旧理学部生物学教室の標本園(樹木園)について、あらためてご紹介しようと思います。

ここには、りっぱな立て看板があって、この場所の歴史が説明されています。

XZ-2, P1155779
内容は以下の通りです。

この庭園は、大正11年(1922)東北帝国大学理学部生物学科の創設と共に作られた樹木園を生かして、平成7年(1995)に建設した。昭和44年(1969)まで、この地区には生物学教室があり、多くの樹木を集めていた。庭園内のアキニレ、片平会館入口のハリグワ、片平小学校に面した通りのヒイラギやユリノキなどの樹々は、明治35年(1902)に政岡(伊達綱宗の側室三沢初子、歌舞伎伽羅先代萩ではわが子を犠牲にして伊達家安泰をはかったとされる)の記念植物園を造るために伊達家が各地から集めたものを移植したと伝えられている。        東北大学

もともとは、伊達家重臣の武家屋敷だった(はず)のこの一角に、明治になって伊達家が収集した樹木が通り(柳町通り)沿い、つまり北端に並べて植えられ、その後大正になって東北帝国大学ができたときに樹木園となり、昭和になって理学部が北青葉山キャンパスへ移転した後はたんなる庭園となっていたものを、平成になってあらためて記念植物園として整えた・・・というかんじでしょうか。

しかし、そんな歴史ある記念植物園であるにもかかわらず、私の目にとまるのはそれら樹木ではなく、そこにからみつくセンニンソウだったりするわけです。
しかもこの時期、センニンソウは花の季節というわけでもなく、ただただ枯れた蔓がからまるのみ・・・

XZ-2, P1155778
 まだたくさんの、白い綿毛をつけた実がなってます。

XZ-2, P1155781
いい風情。

しかし、こんな寒い季節に樹木園に入り込み、枯れたつるをのぞき込んでいる姿は、端から見れば奇っ怪でしょう。

このセンニンソウ、花の季節にはまたきれいな姿を見せてくれるのですよ、念のため。