2015年1月13日火曜日

お正月特別企画「瑞鳳殿ご開帳」 -2015/01/01

伊達政宗公はじめ、代々の御廟として全国的にも有名な「瑞鳳殿」。
仙台市青葉区、霊屋下(おたまやした)にあります。

この瑞鳳殿、ふだんは中を見るために拝観料700円が必要ですが、元日は「タダ」です。しかも!
瑞鳳殿の本殿ご開帳、中の伊達政宗木像を拝見することができるのです。

実は、ご開帳を見るのは2回目なのですが、前回はお金を払って見に行きました。

それでは、平成27年元日の瑞鳳殿訪問の様子をご紹介いたしましょう。

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 瑞鳳殿のバス停から坂道を上がり、さらに左へ折れて石段を登ります。この参道は、ふだんでもタダで行けます。

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さて、ここからはふだんなら700円払わないと踏み込めないエリア。
さっそく入ってみましょう。

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瑞鳳殿は高台の上にあります。ここはその入り口にあたる門。
正月らしく、りっぱな門松があります。

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門の脇から中へ入り、石段を登ります。けっこう急勾配です。
石段を登り切って左手には、トイレと資料館があります。元日は資料館に入ることはできません。
 また、りっぱな臥龍梅(がりょうばい)もあります。 4月にはきれいな花が見られます。

瑞鳳殿の本殿は、塀で囲まれており、正面には立派な入り口があります。その手前から中を覗いてみます。

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石段を登り切る3段くらい手前の低い目線だと、りっぱな入口を通して奥に本殿が見えます。たしかに扉が開いています。
入口をくぐって・・・

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 本殿を見ながら右脇へ、さささっと・・・

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見上げてみます。
正面に戻り、さらに段を上がって本殿の正面へ。

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 いらっしゃいました!伊達政宗公です。

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本殿脇には、「伊達家御用蔵、勝山」の酒樽が。

瑞鳳殿参拝を堪能したあとは、ちょっと周囲に目を向けてみます。

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龍のあたまと瓦。

龍のほうは、「青銅製龍頭彫刻瓦」です。説明文を読んでみると・・・

寛永14年 高田久兵衛 作/松島町 蔵
旧瑞鳳殿屋根隅棟には「阿・吽」計8体の龍頭彫刻瓦が据え付けられていた。瑞鳳殿は昭和20年(1945)7月10日の戦災で焼失したが、青銅製の龍頭彫刻瓦は辛うじて焼け残り、このうち4体は松島町が保管してきた。
平成11年(1999)5月24日、松島町所蔵の龍頭彫刻瓦(阿1体・吽3体)の内「吽」2体が、伊達家を介して再建された瑞鳳殿に里帰りし、瑞鳳殿本殿脇(写真のものですね)と瑞鳳殿資料館内に展示されている。

これはオリジナルの龍頭彫刻瓦なんですね。わざわざ前まで見に来る人はそんなにいませんが・・・ぜひオリジナルの龍頭と鬼瓦を見てやって下さい。
ところで龍頭彫刻瓦、阿・吽のペアですが、瑞鳳殿では外に置いてあるのはこの「吽」のみで、「阿」のほうは資料館の中に展示されていて、いっしょに見ることはできません。

阿・吽ペアの龍頭彫刻瓦は、瑞鳳殿のふもとにある瑞鳳寺で見ることができますので、そちらもついでに覗いてみてはいかがでしょう。

龍頭彫刻瓦と並んで置いてあるもうひとつのほうは、こちらも青銅製の「九曜紋鬼瓦」です。九曜の紋は、いくつかある伊達家の家紋のひとつです。大きな丸を中心に、九つの小さな丸が囲む形。

そして、ほんとうに端っこに目立たずたたずむ石碑があります。

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 「満海上人(まんかいしょうにん)供養碑」です。こちらは説明の石板があります。読んでみると・・・

満海上人供養碑 Memorial to Saint MANKAI

寛永13年(1636)仙台藩祖伊達政宗の遺命による、墓所工事の際地中より中世末期、経ヶ峰に葬られた湯殿山修験者満海上人の墓が現れたと伊達治家記録に記されている。
旧瑞鳳殿東側には供養碑が建てられていたが、昭和20年(1945)の戦災と、その後の荒廃により失われた。
この度、昭和54年に再建された瑞鳳殿に引き続き、満海上人供養碑の再建を望む多くの市民の声により、財団法人瑞鳳殿資料館による歴史考証に基づき、平成元年(1989)12月1日、旧瑞鳳殿「暫屈」(ざんくつ)跡に再建したものである。

※暫屈 藩公参詣時の休憩所、元禄頃までは存在し、以後廃絶

大河ドラマ「独眼竜政宗」でも、たびたび出てきた「伊達政宗公は満海上人の生まれ変わり」という伝説(?)とも絡むものですね。

瑞鳳殿のほうは、たくさんの人が足を向けますが、この満海上人供養碑に立ち寄る人はいなかったようです。
写真にも、うっすら雪が積もった供養碑前を歩いたのは一匹のねこだけだったようすが写ってます。

さて、ここには藩祖政宗公の御廟、この「瑞鳳殿」のほかに、二代忠宗公の御廟「感仙殿」(かんせんでん)、三代綱宗公の御廟「善応殿」(ぜんのうでん)がありますが、この日は公開されていませんでした。

文殊院大日堂 -2015/01/01

今は町名としてはなくなってしまいましたが、「田町」(たまち)という町が片平、五橋の南側にあったということ。

そこに、小さな大日堂があります。
北の柳町には、かなり有名な「教楽院大日堂」があります(こちらも小さなお堂ですが)が、この田町にも大日堂があります。「文殊院大日堂」です。

細い一方通行の坂道の西側、手前には小さなお稲荷さん、貸し駐車場の奥にそのお堂はあります。

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 平成27年は未年。未申の守り本尊である大日如来を祀る大日堂に初詣、ということで数年前の夏に訪れて以来、久しぶりの訪問です。

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このお堂、けっこう新しいです。2008年に新しく建てられたそうです。
脇の社務所(?)からは「甘酒とみかんどうですか」、もちろんいただきました。

小さな大日堂ですが、かなり由緒正しいようです。
縁起を説明する看板があったのですが、今度きちんと読んで紹介しようと思います。

東北大片平キャンパスの南端が東北学院大の土樋北キャンパスに -2015/01/01

東北大学の片平キャンパスは、西を南北に走る片平丁、東を五ッ橋通りにはさまれ、北から柳町通りと弾正横丁のあいだには金属材料研究所、弾正横丁と七軒丁のあいだには大学本部や附置研が立ち並ぶ片平北キャンパス、七軒丁と南六軒丁のあいだには「光通信発祥の地(光ファイバーがここで生まれた)」電気通信研究所(通称「通研」)や片平中央体育館などがある片平南キャンパスで構成されています。

その南端、南六軒丁の通りを挟んで向かいには東北学院大学の土樋キャンパスがあります。
東北大キャンパス側には、かつてテニスコートがあったのですが、そのエリアを数年前に学院大へ売却したそうです。

去年あたりから本格的に工事が始まっていたのは知っていましたが、元日のこの日、ちょっと様子を見に行ってみることにしました。

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 「片平丁」の通りを南下して、東へカーブを切ると通りの名前が「南六軒丁」にかわります。
そして左に東北大学、右に東北学院大学が見えるのですが、東北大側の南端はくさび形、三角形の土地にフェンスが巡らされています。

写真の左端に写っている建物は、かつて東北帝国大学ができる前からあった仙台高等工業学校(SKK)の建物です。以前、このブログでも紹介しました。

今は、通研の建物のひとつ「21世紀情報通信研究開発センター」となっております。
こちらの建物も、最近までシートで覆われ、工事中(耐震工事?)でしたが今は終わっています。

さて、さらに進んでいきましょう。

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 フェンスのあいだから中を覗いてみると、テニスコートの面影はまったく残っておらず、地面を掘って大規模な基礎工事真っ最中という感じです。

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 旧「SKK」の建物へ通じる通用門と通路は、もう跡形もありません。

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 「東北学院大学土樋キャンパス北地区新校舎新築工事」・・・なるほど。

XZ-2, P1011339
 工事開始のころの現場の様子と、完成予想平面図の看板です。
こんなふうになるのか・・・

南六軒丁の景観がどのようになるか、いまから楽しみです。