2012年3月8日木曜日

第二高等学校正門あと -2012/03/08

東北大学片平キャンパスの正門は、米ヶ袋・霊屋橋へ向かう道路に面して開いておりますが、その正門より少し南へ行くと、古い正門のあとがあります。


道路から数段の階段を上がると、鎖をわたした門とその奥に記念碑が。


「第二高等学校」と書いてあります。
左を見ると・・・


なにやら由緒、由来のようなことが書いてありそうな・・・


こちらは、第二高等学校になる前の「第二高等中学校」について記述があります。

文章を以下に抜粋すると・・・

明治二十年 仙台に第二高等中学校が創立された 明治政府は全国を五学区にわけ 各学区に一校ずつを配置 第二学区(東北六県)に本校を配した
明治二十七年 第二高等学校と改称された 一高(東京) 二高(仙台) 三高(京都)から八高(名古屋)までつづいたが その後は地名その他を冠した高等学校が設置され 所謂旧制高等学校は三十八を数える
明治二十二(※三十二の間違い?)年 片平丁のこの地に第二高等学校の木造校舎が完成 校地取得並びに校舎建設費は 仙台市民を中心とする宮城県民よりの浄財の醵金(きょきん)に依った
煉瓦造四基の角柱は 創立以来の本校正門で 鉄鎖をもって閉ざすも 生徒敢えてこれを跨ぐものなし
今に残る遺構は 正門および図書館の煉瓦造り書庫一棟を数うるのみ
大正十四年 東北帝国大学の拡充に伴い 北六番丁に移転 正門は同構内武道寮の門となった
昭和二十年 戦災により校舎焼失 三神峯に移転を余儀なくされた 正門は二高生の手により三神峯に転じた
昭和二十五年 学制改革により 第二高等学校終焉 正門辛くも同窓の計らいにより 仙台市立博物館構内に保存された
昭和四十三年 第二高等学校記念碑としてこの地に校歌碑を建立 正門略旧地に復した
昭和六十一年 創立百周年に際し 旧校庭に二高尚志像像を設置した
平成八年 創立百十周年に当たり 正門を旧観に戻し 新たに蜂章碑を加えて 一劃(いっかく)を整備した
往時を偲び「第二高等学校片平記念苑」として後世に遺す

平成八年(一九九六年)十月
第二高等学校尚志同窓会

『鉄鎖をもって閉ざすも 生徒敢えてこれを跨ぐものなし』とは、当時いかに学校が尊いものであったかがわかりますね。
今の東北大生が、大学に対してこのような気持ちをもっているか・・・


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